もーっとヨーロッパ

オランダ在住30代旅好き主婦が巡るヨーロッパ。週末旅行を中心に、見どころも期待外れも包み隠さずご紹介。欧州旅行のヒントがきっと見つかる。

太陽の降り注ぐアンダルシア⑥グラナダ編~アルハンブラ宮殿(前)~

こんにちは!koemo(くぅも)です。

 

ついに来ました、アルハンブラ宮殿!ずっと来たかった場所です。(訪問日:2022年8月)

 

 

 

アルハンブラ宮殿

アルハンブラ宮殿への入場者数は制限されていて、特に夏の観光シーズンはインターネット上でもすぐに売り切れてしまうので、訪問が決まったらできる限り早くチケットを押さえることが重要です。

 

 

 

 

予約は15時。これはアルハンブラ宮殿内にあるナスル朝宮殿への入場時間なので、13時半には到着して、他の場所を先に見学します。

 

アルハンブラ宮殿の敷地はかなり広いので、余裕をもったスケジュールを組むことが重要です。実際にアルハンブラ宮殿を出たのは17時半すぎ。休憩を挟みつつ、4時間も費やしてしまいました。

 

 

※特に夏のアルハンブラ宮殿は日差しも強く、かなり体力を消耗するので、①歩きやすい靴、②水(中でも水・軽食を買えます。)、③サングラス&帽子が必須です。

 

 

 

 

オーディオガイド€6は事前予約をしなくても、窓口で借りることができます。アルハンブラ宮殿全体のガイドを日本語で聞くことができるのですが・・・、日本語の意味がよくわからない。無理矢理翻訳したかのようで、聞いていても頭に入ってこない。途中から聞くのをやめてしまったぐらい、唯一残念な点でした。

 

 

 

アルハンブラ宮殿ができるまで

アルハンブラ宮殿を建てたグラナダ王国ナスル朝が建国されたのは1238年。すでにキリスト教勢力によるレコンキスタ(国土回復運動)の終焉が見え始めていた時代です。アルハンブラ宮殿は歴代の王によって改築・増築が繰り返され、完成までに170年の歳月がかけられました。

 

 

レコンキスタの終焉が見え始めていると言いつつ、グラナダ王国は200年以上続きます。それは、当時イベリア半島を広く支配していたカスティーリャ王国キリスト教安定した友好関係を築くことに尽力したから。最終的にグラナダ王国は滅ぼされ、最後の王はアフリカ半島へ逃げることになりますが、グラナダ、つまりアルハンブラ宮殿イスラム勢力の最後の砦と言えるのです。

 

 

 

 

 

ナスル朝宮殿

敷地内のメインとも言える場所、ナスル朝宮殿メスアール宮コマレス宮ライオン宮の3つの宮殿から構成されていて、一般的に”アルハンブラ宮殿”と呼ばれる建物はこのナスル朝宮殿のことを指します。(正式には敷地全体がアルハンブラ宮殿です。)

 

 

チケットの予約時間は、ナスル朝宮殿の入場時間を示しています。30分前に前を通りかかったら・・・すごい行列。

 

え?これって既に並ばないとだめ???

 

よくわからないまま、早めに列に加わることにしました。

 

 

 

 

 

メスアール宮(Mexuar)

ナスル朝宮殿の入口から入って、最初に足を踏み入れるのがメスアール宮アルハンブラ宮殿の中で現存する最も古い部分と言われています

 

 

 

 

レコンキスタによりカスティーリャ王国に引き渡された後も数々の改築・修繕が行われてきたため、本来の姿はわからなくなっているそうです。このメスアールの間の奥の部屋では、かつて王が謁見を行ったり、閣議を開いたりしていました。

 

 

 

 

アラベスクと呼ばれる幾何学模様と優れた建築技術を駆使し、イスラム芸術の結晶とも言われるナスル朝宮殿。あまりの豪華さ美しさ「王は魔法を使って宮殿を完成させた。」と言われたほど。一つ一つの装飾が緻密すぎて、まだ建物に入ったばかりですがこの時点で写真を何枚撮ったことか。。。

 

 

 

 

異なる宗教に征服された後、以前の宗教施設は破壊されることが多いものですが、キリスト教徒がアルハンブラ宮殿を破壊しなかったのは、イスラム建築のあまりにも美しい装飾や優れた建築技法に魅了されたからと言われています。(賢明な判断をしてくれて本当に良かった。)

 

 

 



コマレス宮(Comares)

宮殿の中心となるのがコマレス宮。外交と政治の場、そして公邸でもあった場所です。(つまり、一番豪華。)

 

鮮やかな緑の池大理石の白さが対照的なアラヤネスの中庭”砂漠の民による水の芸術”とも言われています。水や水路を多く用いた庭園技術はイスラム建築の特徴です。後ろに建つのはコマレスの塔カスティーリャ王国グラナダを引き渡すことを決める話し合いはここで行われました。

 

 

 

 

次から次へとたくさんの部屋を見て回るのですが、どの部屋にも壁中を埋め尽くす幾何学模様。いったい何人の職人がどれぐらいの時間をかけたらこんなものが出来上がるのだろうか、と考えずにはいられません。

 

 

 

 

ナスル朝宮殿では、様々な場所でこのようなアラビア文字を見ることができます。イスラム教の祈りの言葉の1つで、意味は“神のみぞ勝利者なり”。アラビア文字に親しみのない日本人からすると、幾何学模様の一部かと思ってしまう。

 

 

 

 

 

 

ライオン宮(Leones)

124本の柱に囲まれたライオンの中庭。庭の中心には12頭のライオンからできた噴水があります。

 

 

 

 

このライオン宮の建設を始めたムハンマド5世は、キリスト教であるカスティーリャ王と良好な関係を築いていました。そのため、ここはキリスト教建築の影響も受けているのが特徴です。柱廊に囲まれた庭というのもそのうちの1つ。

 

 

 

 

ここは王族のプライベートな空間だったので、装飾はより繊細に作られました。

 

 

 

 

ライオンの中庭から続く諸王の間。天井には歴代10人のナスル朝王の肖像画か描かれています。

 

 

 

 

ここで疑問。イスラム教は偶像崇拝が禁止されています。にも拘らず王様の絵が描かれているというのはどういうことなのか?これは、後にキリスト教徒によって描かれたという見方が強いようです。これもまた、イスラム教文化とキリスト教文化が混ざった結果ですね。

 

 

 

 

さらに続いて、二姉妹の間。王妃や子どもたちが暮らしていた部屋です。ここの見どころは、天井にある鍾乳石の彫刻。ムカルナスと呼ばれる、イスラム建築で使われる装飾の一種です。

 

 

 

 

建築に関する細かいことはわかりませんが、無数の小さな窪みで繰り返し層を成すことで、天井に大きなアーチを作る技法(らしい)。ここのムカルナスは宮殿随一とも言われる緻密さで、誰もが驚くこと間違いなし。じっと見てると蜂の巣みたいだけど。天井上部に取り付けられた窓から差し込む光の反射まで計算されて造られているそうです。

 

 

 

 

こうして、ナスル朝宮殿を見るだけで1時間以上かかってしまいましたが、終始驚きっぱなしの、来てよかったと心から思える場所でした。

 

 

長くなってしまったので、次回に続きます。